ふたたび・・・の

今年7月に「最後に・・・」という下記の記事を書いたあとも、ここを訪れてくださるかたがいらっしゃること、本当に感謝しています。
過去の記事を読んでくださるかたがいらっしゃることもあり、なかなかこのブログ自体を消せないままでいました。

あれから、詩もひとつ、ふたつ、と書き続けています。

第二詩集の刊行を実現する前に、何冊か、小さな冊子を作ることにし、今はその制作に取りかかっているところです。
と同時に、ふたたび、場所を変えてブログをスタートすることにしました。

よろしければ、新しい場所を訪ねていただけたらうれしく思います。

峯澤典子

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最後に・・・

いつもこのブログをお読みいただき、ありがとうございます。
月一回程度の更新に関わらず、毎日訪れてくださったみなさまに感謝しております。

突然ですが、一年と少しの間、細々と続けてきたこのブログ、本日で終わりにしたいと思います。

近年中に第二詩集をまとめたいと考えておりますので、その折にまたお会いできたらうれしく思います。

ちょうど、今日、7月26日はマヤ暦でいうと新年の始まりの日だそうです。
(昨日25日は、旧年から新年をつなぐ、「時間を外した日」、つまり、あらゆる時間の制約から解放され、今までの「流れ」を変更するチャンスが訪れる、「運命調整日」だそうです・・・)
みなさまにとっても、よき変化の時になりますよう。

ありがとうございました。

峯澤典子



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霞から霞へと

このところ、電車のなかでも、自宅でも、塚本邦雄の『王朝百首』を読み返している。
読む、というよりは、先に進むことを目的とせず、そこに並ぶ和歌、ひとつひとつの言葉のふくらみのなかで目や心をじっと休めるような眺めかたがふさわしい選歌集である。

異論を承知で「百人一首に秀歌はない」とまで言い切る著者が、自身の目で、八代集、六家集、歌仙集や歌合集などをくまなく巡り、王朝の歌人たちのそれぞれの最高作と思われるものを選び、百首を編んだ一冊なのだが、その緊張感に満ちた選歌はもちろん、吟味され尽くした歌の配置や、一首ごとの解釈、解説もすばらしく、読み進むほどに、平安期の和歌とは、こんなにも人が命をかけた仕事だったのか、とため息が出る。

わたし自身、たとえば、平安から鎌倉の歌を読むのはとても好きなのだが、正月の歌がるたとしておなじみの「小倉百人一首」は、通して読むたびに、どこか退屈で、どうしてこの歌人の歌から、あえてこの一首が採られたんだろう、と不思議にも感じていた。
つまり、ひととおり目を通せばよく、日々のなかで何度も開きたくなる、百首ではなかったのだ。

しかし、塚本邦雄の『王朝百首』は、驚きの選歌集だった。
文庫版の解説で、橋本治氏が、「まず「目次」を見て、私はボーッとなった。体がわなわなと震え出すような気がした。そこにはただ「美しいもの」が並んでいたからである」と書いているが、そのとおりなのである。
「『文字の並び』が生きた景色となって動く。焦点の合わない百首の歌の並びは、静かに動く季節の流れとなって、ゆっくりと進んで行く。・・・文字の並びが『流れる季節の美しさ』になって存在している目次などを見たのは、その時が初めてで、最後だった」と、橋本氏が語るように、塚本邦雄の手によってこの本に呼び集められた歌は、もはや単なる文字の配列ではなく、刻々と今この瞬間に、目の前に現れては消え、変化し続ける、空であり風、月、花影、そして、鳥の声などの、四季の命の躍動そのものなのである。

たとえば、何首か。

うすく濃き野邊のみどりの若草にあとまで見ゆる雪のむら消え
                               宮内卿

さくらばな散りぬる風のなごりには水無き空に波ぞたちける
                               紀貫之

移香の身にしむばかりちぎるとて扇の風の行方たづねむ
                               藤原定家

霞や桜花、朧月夜に陽炎、残り香になごり雪など、詠われているものの多くが、かすかで、はかなく、おぼろげであるからか、一首一首の余韻は長く、あとに残る熱は高い。
なかなか去らない熱を抱え、次の歌へと進めば、酔いはしだいに深くなり、濃い霞のなかにいるような心地になってしまう。

しかし、一流の美意識で描かれた美しい霞もまた、刻々と変化し続ける季節の形見でしかなく、その隙間からは、いつか巡り来る死や老いや別れ、そしてけして癒せない、人であることのかなしみが見え隠れする。

平安期から何世紀も経たのちに編まれた選歌集において、当時の歌の声が、こんなにも生々しく、人の生を慈しみながら響きあうのは、めずらしいことなのではないだろうか。
天性の歌人たちのさまざまな生の輝きが、塚本邦雄の手ならではの見事な配置で並べられているおかげで、すべての歌が、一斉に美しさを競い、高めあっているのが感じられる。

塚本氏は序文で、「一首のうつくしい歌とはかうして次元を隔てた人と人との交感のなかだちとなり、未来にむかつて生き続けようとするのだ。・・・・日本語から終生離れ得ぬ私たちの今日のため、否明日のために存在するものであり、心ある人の手で呼び覚まされる時を待ちわびつつ霞の奥で眠っている」と書いているが、この一冊こそ、「心ある人の手で呼び覚まされた」幸福な歌たちにめぐりあえる貴重な書物である。

初版はもう三十数年前に出された本ではあるが、どんなに時がめぐろうとも、王朝歌人たちのみずみずしい声は、読むたびに新鮮な驚きをもたらしてくれるだろう。

空を、風を見上げ、鳥の声に耳を澄ます、そんな時間がないときこそ、このページを開き、花から花を気まぐれに渡る蝶のように、歌から歌へと、霞から霞へと、心を遊ばせてみようかと思っている。

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光の過ぎる停留所

休日には、住まいから電車で5分ほど、のんびりと歩いても30分あまりで着ける吉祥寺で過ごすことが多い。
大学を卒業してから飽きもせず通っている街だが、お茶を飲むにも食事をするにも落ち着け、好きな本屋もあるので、特別な用事以外はあえて都心まで出かける必要がない。
ただ、最近は、よく利用していた喫茶店やレストランが2店、3店と姿を消し、ひと息つける場所がしだいに少なくなってきてしまい、さびしく感じていた。

今日はひとりでゆっくりとお茶を飲める時間ができたので、駅前の混雑を避けて成蹊大の近くまで歩き、以前、知り合いに教えてもらった、カフェ『PARADA』に入った。

昼間でも照明を控えめにした、自然光を生かすつくりのおかげで、室内の窓枠や壁、テーブルの影は夕闇のように甘く、その濃淡の質感につい見とれてしまう。
奥には、ギャラリーが併設されており、お茶の合間に気軽に展示を見られるのも、気分が変わって楽しい。

おすすめの、炭酸で割った白ワイン(ドイツではこうした飲み方をする、とメニューに書いてあった)を飲みながら、通りを誰かが過ぎるたびに境界線を揺らしていく、室内の光があまりにきれいなので、本を読むふりをしてずっと見ていた。

店名の『PARADA』とは、スペイン語で、「バス停留所」の意味だそうだが、この停留所を光が過ぎるのを見つめるだけの、何もしない午後をまた味わってみたい。

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地図のように

つげ義春の『貧困旅行記』に「猫町紀行」というエッセーがある。

「猫町」は、もの思いにふけりつつ散歩する癖のある詩人が道に迷い、猫ばかり住む、幻影のような町にふと迷い込んでしまうという、朔太郎が書いたお話だが、エッセーによると、つげさんも、山梨の山中でこれに似た体験をしたという。

ある宿場を探しても探しても車は同じ道を回り、迷いに迷い、あきらめかけたとたん、すばやく通り過ぎた道の先に、山の中とは思えぬほどの人の賑わいを見つける。
そこは、白昼夢めいた隠れ里のようであり、結局はちらと通りすぎただけで再び行き着くことはできなかったらしいのだが、つげさんは、幻の宿場を自身の「猫町」と呼び、偶然にも「猫町」体験をしたことで、それまでの旅行ではなぜ物足りなさを感じていたか、に気づく。
つまり、方向感覚がよかったせいで、それまでの旅のなかでは、道に迷い、思いがけぬ「猫町」に遭遇するという、潜在的な願望が叶わなかった、というのだ。

氏の「猫町」体験自体より、「道に迷えば猫町の気分だけでも味わえるものと思い、その散歩のしかたを真似てみたこともあった。けれど、真似ごとでは道に迷うわけもなく、それに私は方向感覚は悪くないほうなのでその試みが成功しなかった」・・・という箇所は、極度の方向音痴のわたしにはとても面白く思えた。

わたしは、三、四度通ったくらいではまったく道を覚えられず、不本意な場所につい出てしまうことは日常茶飯事なので、道に迷わないひとがあえて道に迷うふりをする、という行為にひどく色気を感じた。
迷いたくない、と必死に思っているほど迷ってしまう気がするが、迷ってもいい、と思えるひとの描くものは、余情があって、うつくしい。

『貧困旅行記』は、著者自身が撮影した、各地の温泉地の写真もすばらしいので、わたしは、まるで道に迷ったひとが頼みの地図を何度も開くように、この本をもう何年も飽きもせずに眺めている。

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春の窓を覗いてみれば

たとえば、どこまでも晴れ渡る草原を思わせる、みずみずしい青豆を、丁寧に丁寧に、歌でも口ずさみながら念入りに裏ごしし、絹の滑らかさをそっとしのばせたスープを、ひとさじ、またひとさじ。
ゆっくり、ゆっくり、時間をかけて味わったとしたら・・・こんなふうに、ほんの少しのほろ苦さと優しい後味が、息の通り道に、しばらくは残るのかもしれない。
童話作家、安房直子の書いた物語を読むたびに、そんなことを思う。

シャツ一枚でも暑くなったと思えば、また急に冷えた首筋にマフラーでも巻きたくなるような、このごろの、激しいお天気の変化に、気持ちが振り回されていると、ふと立ち止まって、安房直子の本のなかに流れる、温かで、けれどけして湿度の高くない風をひと筋、ゆっくり、ゆっくり、胸のなかに注ぎ込みたくなる。

『春の窓』と題された、文庫版の作品集を開いてみる。
それぞれの小さな物語の主人公たちは、どこにでもあるような日常に住まいながら、ふとしたことで、知らぬ間に異空へと足を踏み入れてしまう。

「あるジャム屋の話」では、人づきあいが苦手なあまり、ひとりでジャム屋を開こうと決心した青年が登場するのだが、独学の商売はなかなかうまくいかず、途方にくれていると、まるで神の遣いのように、綺麗な雌鹿が、そのジャムの美味しさに惹かれて彼の元を訪れる。

雌鹿の思いがけないアイデアのお陰で、ジャム作りはだんだんと軌道に乗っていくのだが、共同作業を通じて青年と鹿の心がしだいにかよっていく時間は、泣きたくなるほど緩やかで、豊かなのだ。

「ひと仕事おえたあとで、ふたりは、ロシア紅茶をゆっくりと飲みました。大きなまんまるの月が、小屋の窓から私たちを見つめていました」
こうした一文のように、読み進むうちに、こちらの体内時計も速度を落とし、艶やかなジャムをひとさじ、沸騰したお茶にふわりと浮かべた、香り高い一杯を彼らと一緒に味わっている気分になってしまう。

『春の窓』の登場人物たちが共通して抱えているのは、うっすらと感じられる淋しさや、周りとうまくつき合えない不器用さなのだが、彼らの優しくもぎこちない心が、この世のものではない、異空の存在や場と触れ合ったとき、それまでどうしても捨てられずに宿してきてしまった孤独感が、ほっとほどけて、美しい空へ溶けていく音が聞こえてくる。

そして、その音を耳にしたとき、すんなりと暖かくならない季節のなかで、わたし自身が知らぬ間に頑なに守ってきてしまった、人やものをどこか拒むような気持ちも、すっと姿を消していった気がする。
そうして消えていく、もう戻らない過去の季節の残り香がこそが、安房直子を読んだときの、心地よく、どこか淋しい後味なのかもしれない、とも思う。

『春の窓』(講談社X文庫)
安房直子
春の窓 安房直子ファンタジスタ (講談社X文庫ホワイトハート)

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お知らせ

現在発売中の『江古田文学』(第73号)に、吉行理恵さんについて書かせていただきました。

書店で手にとっていただけたらと思います。

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目に沈む赤

強い日差しのなかで目を瞑ると、たちまち、まぶたの裏は真紅に染まる。
もしそのまま目が開かなくなったら、目の奥に永遠に閉じられた赤は、そのひとの命が尽きる瞬間まで、休むことなく燃え続けるのかもしれない。
先日、武蔵野市立吉祥寺美術館で見た、「斎藤真一展」の絵の多くは、そんな赤で塗られていた。

たとえば、今にも地平線に触れそうにしっとりと膨らんだ夕日、暗い部屋に唯一浮かび上がる血管のような灯…そうした赤に必死に照らされているのは、
瞽女(ごぜ)と呼ばれる、盲目の女性旅芸人たち。
目の見えぬ彼女たちは、生きるために、食べるために、三味線片手に唄をうたい、春から冬へほぼ一年をかけて、上越の村から村へと旅を続けたという。

唄の厳しい修行を重ね、道を踏み誤らぬよう、仲間からはぐれぬよう、一歩、また一歩、雪の日も進む旅。
その過酷さは今では想像しきれるものではないが、自らも「瞽女道」と呼ばれる上越の山野を歩きながら、さまざまな証言をもとに彼女たちの姿を確かな目で描いた斎藤真一の赤は、ある瞽女が視覚を失う前に見たという太陽の熱であり、暗闇で懸命に生きようとする女たちの血であるように思われた。

黒や灰色などの重い色のなか発光する紅の滴りは、見つめても見つめても底が見えない。
閉じたまぶたの裏でどこまでも膨らみ続ける陽の残像のようで、それは、わたしの想像など追いつかないくらい遠い場所でありながら、生まれる前のこの目が確かに体感した地平ではないかとも感じられた。
ひとりの瞽女が、幼い頃に見た太陽の色を、一生をかけて大事に大事に暗闇で守り続けたように、斎藤真一の赤を一度通過した目は、その色をきっと抱え続けていくのではないだろうか。
見た本人が自覚していなくても、閉じたまぶたのなかにひっそりと、けれどいつまでも眠り続ける生命の息吹きなのだと思う。

吉祥寺美術館の「斎藤真一展」は残念ながら2月21日で終わってしまうが、天童にある出羽桜美術館の分館には、彼の絵が集められているようだ。
「ごぜさん」の赤が恋しくなったら、いつかそこを訪れてみたい。

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夢のなかからやってきた手

先日、初めて、石井一男さんのお名前を知った。
今では熱烈なファンを多くもつ、「女神」の絵で有名なかたらしいが、画家としての出発は49歳とやや遅い。
神戸の下町の古い長屋にひとりで暮らし、ひととあまり触れ合わない新聞配達などのアルバイトを続けながら、誰に見せるわけでもなく、ひたすらに絵を描き続けてきたという。

静かな微笑みをたたえた女神たちは、石井さんの絵を初めて世に出した画廊の社長が「純なるもの」「聖なるもの」というように、どこまでも澄み切った発光体となって、見るひとの魂の深部にまっすぐに入り込んでくる強さがある。

ひとにどう思われるか、もしくは、ひとをどう喜ばそうか、という雑念がまったく入り込んでいない、真空のなかの一筋の光のような女神は、まず石井さん自身が、不安を取り除くため、癒されるための、精神の唯一の支えだったのだろう。

彼の日常に密着したテレビ番組では、誰とも口をきかずに、一滴の水さえも飲まずに絵筆を動かし続けている、厳しくも充足した作業時間が映されていたが、ひとりのひとが孤独を全身で受け入れ、一心不乱に高めていく色と影を垣間見ただけでも、こちらまで、生きることに常に付きまとう葛藤や不安が平らに静められていく気がした。

一番胸を打ったのは、作業机だけが置かれたがらんとした部屋で、石井さんがほんの少しひと休みをしているときのシーンだ。
無駄なものがなにもない、修道院を連想させる簡素な部屋に、たっぷりとした陽が差し込んでいる。
すると、石井さんは少ししゃがみこみ、両手をすっと前に出した。
そして、指先をひらひらと動かしたり、組み合わせて、手影絵を作り、照れくさそうに笑った。
それは、幼い頃から石井さんの胸のなかに棲み続けている、キツネだろうか、うさぎだろうか。
夢の野原から温かな床へと連れてこられた、恥ずかしそうな手の影は、石井さんの孤独にして純粋な魂そのものであるような気がした。

女神の絵ももちろんすばらしいのだが、今、あの手を見られてよかった、と思う。

どうせ遠い昔に喪失したもの、過ぎ去ったものなのだから、と、何かを乱暴にあきらめそうになるとき、わたしはあの美しい手の動きを、何度も何度も、思い出したい。

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そらあるき

ひさしぶりに奈良に出かけ、いくつかの寺社や山の辺の道をまわってきた。
一流の美術品として仏像を眺めるのももちろん楽しいのだが、法隆寺でも薬師寺でも、たいていの奈良の寺のお堂からお堂をつなぐ線上には、張り詰めた静けさがあり、単に境内の順路をなぞっていくだけでも、無音に耳を浸しながら異空間へと入っていく面白さがあった。

ひとり旅に出ると、あまり言葉を発しないせいか、歩く、ということが時を身体に沁みこませる唯一の方法なのだと実感する。
旅先では、なじみのない土地の空気、気配、人影、電車の音など、一瞬一瞬に行きかうすべてのものが遠い空耳のように感じられ、今、ここに、確かに生きているのかどうかが曖昧になるときがある。
それでも確かなのは、今、歩いている、ということだ。
無心に歩いていけば、時は確実に流れ、歩みの先には、想像よりも美しい日の光や、山の辺の風景が現れる。
日常から切り離された時間のなかで垣間見る風景は、幸運なことに、何のしがらみもなく感情に直結していた。
ひとつ、またひとつ、新しい場所へとたどり着くたびに、喜怒哀楽が純化されていくような気がした。
その感情のあまりの純度の高さに、もしかすると、一歩踏み出しているこの足もまた、ほんのひとときのうたた寝のなかの幻ではないか、と思ったほどだ。

金沢に、「そらあるき」という、ひどく可憐な言葉がある。
降り積もった雪に、足がずぼっと深く埋もれないように歩くこと(もしくは、雪の表面が凍っていて足がはまらずに歩けること)をいうらしい。

人やものと密に絡み合う日常から離れ、足跡を深く付けずに見知らぬ町を歩く、旅という時間もまた、そらあるき、ではないのかと思う。
ひと足ひと足をいとおしむように、ある町をこわごわと通り過ぎたあとの靴底には、目には見えない雪のひとかけらがうっすらと付いている。
指でぬぐえば、そのかけらはすぐに溶けてしまうだろうが、幻想の雪に気づかないうちに触れていたつま先や指は、のちにひそやかに熱を発するのかもしれない。

そらあるき、で通り過ぎただけの町。
けれど、またその愛しい場所に、ある1本の通りに戻りたくなるのは、小さな忘れ物のようなそんな熱のせいなのかもしれない。
わたしも、心のなかの靴底の雪を払いながら、今度はいつあの町を歩こうか、などと、もう考えて始めている。

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